GREETNG CD

こんにちは。今日、夜はなにかと酔っ払いそうなので、昼にしました。

今日はマイスのオフィシャルにも歌詞の掲載がありますが、”ダンデライオン”という曲について書きます。

(作曲者(学くん)から「終わってしまった恋とかも、振り返ったら良い思い出」というような(実際にはもう少しあった)内容の作詞情報。)

“ダンデライオン”

(…Aという紙とBという紙を適当に重ねたときに出来る、AとBの境い目のこと
境い目は確かに存在するのに、境い目には面積が存在しないこと)

懐かしい場所に新しい人を連れてくる、その過去と未来を結ぶ作業を通じて、現在という面積のない一瞬を描けたら、学くんの言うことをうまく歌詞に出来るんじゃないかと思って書き始めました。

“くそがき”というアクシデントによって、過去と未来は急速に親密さを増して、つまり、”懐かしい場所”は彼だけではなく、彼女のものにもなることが出来ました。そのことが、僕は「やっぱり少し嬉しくなる」んです。

物事はいつだって、ここにある日々の、その最中(さなか)に起こります。
その最中、つまり今というものが、路傍に咲くタンポポの小さな生命に宿されて物語が進んでいきます。

季節のようにつかみ所なく、境い目のように面積のない”その最中”を大切にしたり、ときにアクシデントを迎え入れることで、学くんの言うように色々なことも「振り返ったら良い思い出」と捉えられるんじゃないかなぁ、と思っていました。

思い出の持つ、微かな体温のようなものは やっぱり、どうしてもどうしても失われていくもので、
だからせめてそのときの風景を思いとどめることが出来るように、最後はそういう想いを書きました。

『ダンデライオン』

懐かしい場所に 戻って来た日に
僕はどうにも照れくさくって、君は一人嬉しそうにして
どこかのこどもが駆けてくる すれ違い様に腰を殴ってくる
あっけにとられる僕の となりで君は一人 ひなたみたいに笑っている

路傍に咲くダンデライオン くそがきが駆けてゆく
君があんまり楽しそうだから ほら いいとこだろうって立ち上がる
タンポポが揺れている 君も揺れている
あぁ僕はやれやれと思う そしてその後やっぱり、少し嬉しくなる

「欲しかったものって なんだったんだろうって思うよ」
ひとの心の淵を覗いて どうにも恨めなくなったりする
割り切るのか、引きずって進むのか いくつになっても途方に暮れる
君が僕のとなりで そうやって笑ってくれて済むことが
たくさんあるんだよ

路傍に咲くダンデライオン 春をまとって揺れる
僕は僕で変わらなくちゃいけないと、
さよならしてから 好きになるんじゃあなくて
今ここにある日々の、その最中を歩く
あぁそして春をまとって、やれやれと嘆いて、僕たちは笑った

路傍に咲くダンデライオン 少年は駆けてゆく
僕はやっぱりゆるせなくなって 靴ひもを結び直して追いかける
息を切らす僕に 君が手を振ってる
季節はちょうど春で タンポポが揺れて 君が遠く笑っている
季節のように逃げる子、タンポポが揺れて、君がずっと笑っていた

追記

「さくらの花が、描くまで」と「ダンデライオン」の作詞前、作曲者からもらった歌詞のイメージがなんとなく近かったこともあって、登場人物をみんな同じ河原に配置しようという遊び心?が出ました。
なので、二つの曲はどちらも同じ河川敷を舞台に、
一方は未来へ踏み出すことを思い、一方は現在を踏みしめることを思う、という対比になっています。
アルバムの中でそういう関連づけをさせるのが、たぶん好きです。